てるてる坊主の正体

子供の頃、雨天の翌日に遠足や楽しい行事があると「明日晴れますように」と願いを込めて、てるてる坊主を軒さしに吊るしました。この慣わしは、いつどこから入ってきたものなのでしょうか。

中国では雨が降り続くと、白い紙で顔を作り、赤や緑の紙の着物を着せ、稲の穂で作ったホウキを持たせ、軒下に吊るして晴天になるように祈りました。このホウキで雨雲を払ってしまおう、という願いがこもっていたのです。

これが、平安時代に日本に伝わり、民間に広まったとされます。その証拠に、平安時代に書かれた『蜻蛉日記』には、晴天を祈るために女神に着物を着せたという記述が見つかっています。

江戸時代の記録によると当時の人形は、「照(てる)法師」「照り法師」などと呼ばれていました。その呼び名は地方によっていくつかのパターンがあり、現在の「てるてる坊主」はその派生型の一種です。

一説によると、上記で説明した中国の掃晴娘(さおちんにゃん)と呼ばれる人形が元ネタで、てるてる坊主のモデルは女性だった可能性があります。

今ではこの習慣、中国でも日本でも、あまり見られなくなってしまいました。絶滅する前に、次の雨の日に作ってみては?