夏目漱石の本名

夏目漱石の漱石という名前は本名ではありません。

彼は1867年1月5日、明治維新の一年前に生まれました。

本名を金之助と言い、生まれた日が庚申の日に当たり、この日に生まれた赤ん坊は大泥棒になるという迷信があったことから厄除けの意味で「金」の字が入れられたとされます。

金之助は、1868年(明治元年)11月に養子に出されました。まだ1歳9ヶ月です。養子先の塩原家は途中で家庭不和になったため、金之助は7歳の時に養母とともに生家へ戻ります。

彼は幼少の頃から波乱万丈な時を過ごします。中学で実母を亡くしました。学問の道も険しく、中学を中退して私塾に通うなどの経験を経て、英語で頭角を現します。

漱石という名を彼が初めて使用したのは1889年(明治22年)、22歳の頃です。

きっかけは正岡子規(まさおかしき)の文集『七草集』に批評を寄せたことでした。漱石と子規は同窓生であり、友好的な関係を結んでいましたが、「漱石」という名は子規の数多いペンネームのうちの一つでした。それを金之助が譲り受けたのです。

漱石と子規には似たようなエピソードがあります。二人とも試験の祭にカンニングをしたことがあり、隣の席の友人にそっと答えを聞いて解答を埋めたと言います。そして、彼らに助言した学生は両方とも不合格だったとか。