リゾートバイト(13)
あんなに夜が長いと思ったのは生まれて初めてだ。憔悴しきった顔を人に晒したのも、もちろん人でないものの姿を見たのも。
何もかもが現実離れしていた。朝日が〈おんどう〉の隙間から差し込んできても、俺は顔を上げることができなかった。
すずめの鳴き声も、遠方から聞こえてくる生活音も、すべてが俺の心情とかけ離れていて、ここから本当に出て行けるのか疑わしいほどだった。
本格的に太陽の光が中に入りこんできた頃、こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
俺は反射的に身構えた。足音はすぐ近くまで来ると、〈おんどう〉の裏手に回り入り口の前で止まった。
息を呑んで待ち構えていると、ガタガタと音がして、ゆっくりと扉が開いた。
そして坊さんの姿が覗いた。
坊さんは俺たちの姿を見つけると、一瞬泣きそうな顔をして「よく、頑張ってくれました」と言った。
俺は、その坊さんの目が忘れられない。本当に現実に生きて帰れたという気がしたからだ。
不覚にも俺は腰を抜かしていて立てなかった。そして、声を出してわんわんと泣いた。
坊さんは、俺たちの汗と尿まみれの〈おんどう〉の中に迷わず入り、一人一人の肩を抱いてくれた。
その時、坊さんの袈裟から懐かしい線香の香りがして、心の底から生きているという安心感に浸れた。
俺はしばらく泣き続けた。
その様子を見て、坊さんはおっさんを呼び寄せた。そして2人に肩を支えられながら、昨日の一軒家へ向かった。
途中で、行きがけに見た大きい寺の横を通った。すると、建物の中から人の叫び声のようなものを聞いた。低く、そして急に高くなって叫ぶ人の奇声だった。
一軒家にたどり着くと、Aが耳元で囁いた。
「さっきの声、女将さんじゃない?」
まさかとは思ったが、確かに女将さんの声に聞こえなくもなかった。
だが、俺はそれどころじゃないほど疲れ果てていた。
早く部屋に上がって休みたかった。しかし、玄関先で出迎えた女の人が不快そうな顔をして言った。
「すぐにお風呂入って」
俺たちの有様が傍から見てどうなっていたのか、当事者には分かりっこない。ただ指示には従うしかなかった。
俺たちは3人揃って風呂場に放り込まれた。いきなり一人になるのは怖かったので、正直一緒で助かった。
風呂から出ると見覚えのある座敷に通された。そこに3枚の布団が敷いてあった。
「まず寝ろ」ということらしい。
ここは安全だという気持ちが、そのまま眠気に転換された。極限まで疲れていたというのもある。俺たちは理屈よりもまず先に体が動いて、そのまま布団の上に倒れ込んで泥のように眠った。
俺は眠りに入る直前、ふとどうでもいいことを思いついた。起きたら、あいつらに俺たちが帰るってことを電話しなきゃ。
旅行の準備を進めているであろう友人たち2人は、俺たちが今こうして死にそうな体験をしたことを知らない。もちろん旅行の計画自体が消え失せることも。
そういえば、〈おんどう〉から一軒家へ移動する時に、俺はBに聞いたんだ。
「もう、見えないよな?」
するとBは確かな口調で答えた。
「ああ、もう見えない。助かったんだ。ありがとう」
俺は最後の言葉を聞いて、小便を漏らしたことは誰にも話さないでおこうと思った。というのは冗談で、俺たちは助かったんだ。その事実だけで、十分だった。
そして、目を覚ました俺たちは、事の真相を坊さんに聞かされることになる。人間の本当の怖さ、信念の強さがもたらした怪奇的な現実。
俺が見たもの、Aが聞いたもの、そしてBが見たもの。その全てを知り、俺たちは再び逃げ出す決心をする。