リゾートバイト(7)
広間に着くと、女将さんと旦那さん、そして悲しそうな顔をした美咲ちゃんが座っていた。
俺たちは、3人の前に並んで座った。当然、正座だ。
「短い間でしたが、お世話になりました。勝手を言ってすみません」
俺が言って、3人で「ありがとうございました」と言いながら頭を下げた。
すると女将さんが腰を上げて、俺たちの方に近寄り、手を差し出した。
「こっちこそ、短い間だったけどありがとうね。これ、少ないけど」
茶封筒が3つ。そして小さな巾着袋が3つ。
俺たちはそれを一つずつ受け取った。茶封筒は思ったよりもズッシリしていて、逆に巾着袋はすごく軽かった。
美咲ちゃんが「元気でね」と言って泣きそうな顔をしながら、3人分のおにぎりを渡してくれた。
俺は泣きそうになった。本当はもっと仲良くなれたかもしれない。
実際、例の一件がなければ女将さんにも世話になったわけだし、人との別れって、こんな感傷的になるんだな、とその時初めて実感した。
挨拶も済んで、俺たちは帰ることになった。
行きは近くのバス停までバスで来たが、帰りはタクシーを使うことにした。
旦那さんが車で駅まで送ってくれるって話も出たが、Bがそれとなく断った。
そして美咲ちゃんに頼んでタクシーを呼んでもらった。
タクシーが到着すると、女将さんたちは外まで見送りに来てくれた。
周りから見れば、なんとなく感動的な場面に思えるかもしれない。でも実際、俺たちは逃亡する真っ最中の身だった。
タクシーに乗り込む前に、俺は振り返った。
かろうじて見えた2階へ続く階段の扉。目を凝らすと、ほんの少し開いてるような気がして、思わず顔を背けた。
そして3人ともタクシーに乗り込み、行き先を告げた後すぐに車が発進した。
旅館から少し離れた辺りで、急にBが運転手に行き先を変更するように告げた。手に持っていたメモを片手で受け取ると、運転手はその紙片を一瞥して、バックミラー越しに怪訝な目を向ける。
「大丈夫? これ結構かかるよ?」
「大丈夫です」
はっきりとそう言うと、Bはキョトンとしている俺とAの方へ向き直り「行かなきゃいけないとこがある。お前らも一緒に」と言った。
俺とAは顔を見合わせた。考えてることは一緒だと思った。
どこへ行くんだろう――
朝の豹変したBの様子を思い出して、正直気が引けてしまって何も聞けなかった。
しばらく走っていると運転手が沈黙を破った。
「後ろ走ってる車、お客さんたちの知り合いじゃない?」
俺は心臓が跳ねるのを感じた。振り返ると、軽トラックが一台、後ろにぴったりとくっついて走っていた。
フロントガラスの向こう側で誰かが手を振っている。旦那さんだった。
俺は何か忘れ物でもしたのかと思い、車を止めてもらうよう頼んだ。
タクシーが道端に停車すると、旦那さんもその後ろに続いて軽トラックを止めた。
後部座席の窓を開けて様子を伺うと、旦那さんが車から降りてきて近づいてきた。俺たちも車の外へ出る。
「そのまま帰ったら駄目だ」
何のことか、と考える暇もなくBが返事をする。
「帰りませんよ。こんな状態で帰れるはずないですから」
Bと旦那さんは何か話が通じあっているようだった。俺とAは完全に置いてけぼりを食らった。
どういうことですか、と俺は旦那さんに質問した。
旦那さんは俺の目を直視し、「おめぇ、あそこ行ったな?」と言った。
心臓が飛び出すかと思った。
なんで知ってるの?
俺は本気で怖くなった。霊的なものじゃない。なんていうか大変なことをしてしまったという恐怖。
「はい」と答えるのが精一杯だった。
すると旦那さんは、ため息を吐いてうなだれるように首を振った。
「このまま帰ったら完全に持ってかれちまう。なんであんなところに行ったんだかなあ。ま、もとはと言えば、俺がちゃんと忠告しとかなかったのが悪いんだけどよ」
完全に持ってかれちまう、とはなんだ。勘弁してくれよ、と思った。
不安になってAを見る。Aは驚くような目で俺を見ていた。
不安を募らせてBを見る。Bは諦観したような表情で頷いた。
「大丈夫。これからお祓いに行こう。そのために向こうにはもう話してあるから」
信じられなかった。
俺は何かに取り憑かれたってことなのか?
あまりの恐怖で、自分の責任を誰か他人に押し付けたくなった。
旦那さんは呆然としている俺を横目に、Bの話に感心を向ける。
「お祓いだって?」
「はい」
Bが落ち着いた口調で答える。
「おめぇ、見えてんのか」
Bは返事をしない。
「おい、見えてるって――」とAが言った。
「ごめん。今はまだ聞かないでくれ」
俺は思わずBに掴みかかった。
「いい加減にしろよ! さっきから何なんだよ!」
旦那さんが割って入る。
「止めとけ。おめぇら、逆にBに感謝しなきゃならねぇぞ」
「でも、言えないってことないんじゃないすか?」Aが言った。
「一番危ないのはBなんだよ。おめぇらは、まだ見えてないんだ」
俺とAは揃ってBの顔を見た。Bは困ったような表情で下を向いた。俺はもう一度、旦那さんの方を向いた。
「どうしてBなんですか? 実際にあそこに行ったのは俺ですよ」
「わかってるさ。でもおめぇは見えてないんだろ?」
「さっきから見えてるとか見えてないとか、なんなんですか?」
「知らん」
「はぁ!?」
俺は突発的に苛立ちを覚えた。そう感じずにはいられなかった。
「真っ黒だってことだけだな。俺の知ってる情報は。だがなあ」
そう言って旦那さんはBを見やる。
「お祓いに行ったところで、なんもなりゃせんと思うぞ」
Bは旦那さんに疑いの目を向ける。
「どうしてですか?」
「前にもそういうことがあったからだ。でも詳しくは言えん」
「行ってみなくちゃわからないですよね?」
「それは、そうだな」
「だったら」
「それで駄目だったら、どうするつもりなんだ?」
Bは口をつぐんだ。旦那さんが言葉をつなぐ。
「見えてからは、とんでもなく早いぞ」
「早い」という言葉が何を意味するのか、俺にはさっぱりわからなかったが、旦那さんの言葉を聞いたBが突然、崩れるように泣き出した。
声にならない泣き声だった。俺とAは、傍で何も言わずに見ていることしかできなかった。
俺たちの異様な雰囲気を感じ取ったのか、タクシーの窓を開けて中から運転手が話しかけてきた。
「お客さんたち大丈夫ですか?」
俺たちは何も答えられない。
Bは道端にしゃがみこんで泣いていた。傍から見たら、大丈夫な光景とは言えない。
すると旦那さんが運転手に向かって言った。
「あぁ、すまんね。呼び出しておいて申し訳ないんだが、こいつらはここで降ろしてもらえるかい?」
「しかし」と言って、運転手は順に俺たちの顔を見比べる。
それを無視して旦那さんがBに話しかける。
「俺がなんでおめぇらを追いかけてきたかわかるか? 事の発端を知る人物がいる。その人のところに連れてってやる。もう話は通してある。すぐに来い、とのことだ」
決めあぐねている俺たちを一瞥して、旦那さんが一息吐いた。
「時間がねぇ。俺を信じろ」
肩を震わせて泣いていたBが、顔を上げて精一杯の声を絞り出す。
「おね……がいします……」
男泣きでもなんでもない、泣きじゃくる赤ん坊を見ているような気分だった。
Bは昨日と今日の短い間に何か一人でものすごい大きなものを抱え込んでしまったんだ。あんなに泣いているBを見たのは、後にも先にもこの時だけだ。
Bの悲痛な声を聞いた俺は、運転手に精算を頼んだ。
「すいません。ここで降ります。いくらですか?」