リゾートバイト(6)
後から考えると、辞めるその日に朝飯を食うのはどうかと思った。
広間に行くと、女将さんが俺たちの姿を見て満面の笑みを浮かべた。
「おはよう。よく眠れた?」
そんな言葉を聞くのは初日以来だった。なぜだか、その笑顔がすごく不気味に感じた。
俺は瞬間的にリアクションを取るのを忘れてしまい、不自然な間が空きそうになった。するとAが俺の尻を叩き、快活に返事をしてくれた。
「はい。すみません遅れて」
Aは俺より臆病な性格だと思っていた。だから、助け舟を出してもらってほっとすると同時に、正直少し驚いた。
そしてBが体調不良のため部屋でまだ寝ていると伝えて、美咲ちゃんにおにぎりを作ってもらえるよう頼んだ。
「いいですよ。それじゃあBくん、今日は休んだ方がいいんじゃ」
美咲ちゃんは素直に心配そうな表情をした。
俺は曖昧に頷いて席についた。「もう辞めるから」とは、さすがに言えない。
朝食の間、女将さんはずっとにこにこしながら俺たちの様子を見ていた。
俺は冷や汗をかきながら、箸の進まない食事をなんとかこなしていた。
その異様な空気感に気づいたのか、美咲ちゃんと旦那さんが、ちらちらと俺たちと女将さんの顔を見ているような気がした。
早々に食事を済ませて、女将さんに話をするため、Bを部屋に呼びに行った。
部屋の前に戻ると、中からBの話し声が聞こえてきた。どうやらどこかに電話をしているようだった。
俺たちは部屋に入り、各々適当に座って電話が終わるのを待っていた。
「はい。どうしても今日がいいんです。はい。ありがとうございます! はい、はい、必ず伺いますので、よろしくお願いします」
そう言ってBは電話を切った。
ここを辞めてから身を預けるための場所の確保だろうか。いずれにせよ、ここを辞めなければ話も進められない。俺たちは無駄な詮索をせずに、Bを伴って女将さんのところへ向かった。
広間に行くと美咲ちゃんが食器の後片付けをしていた。
女将さんは、そこにいなかった。
俺はふと、あの場所に行ってるんじゃないかと思った。
お盆に食事を載せて、2階への階段に通じる入り口を開ける――あの女将さんの後姿がフラッシュバックした。きっとあの時持って行った飯は、残飯の山の上に積み重ねられたのだろう。
そうやって何日も何日も繰り返して、一体あれは何のための行為なんだろうか。
でも、そんなことを考えても仕方がない。俺たちは今日でここを辞めるんだ。無駄にトラブルになりそうなことに足を突っ込む必要はない。忘れるんだ。その方が身のためだ。俺は心の中で自分に言い聞かせた。
Aが美咲ちゃんに女将さんの居場所を尋ねた。
「女将さんならきっと、お花に水やりですね。すぐ戻ってきますよ」
そう言うと、美咲ちゃんはBの方に向かって屈託のない笑顔を見せた。
「Bくん、すぐおにぎり作るからまっててね」
きっと何も変な事が起こらなければ美咲ちゃんと一夏の思い出を作れたかもしれないのに、と俺は悔やんだ。
しばらくすると、女将さんが広間に戻ってきた。女将さんは仕事もせずに広間に座り込んでいる俺たちを見て「どうしたの、あんたたち」と言った。
俺は覚悟を決めて切り出した。
「女将さん。お話があるんですけどちょっといいですか?」
「なんだい? 深刻な顔して」
女将さんは、正座して3人並ぶ俺たちの前に腰を下ろした。
「勝手を承知で言います。俺たち、今日でここを辞めさせてもらいたいんです」
俺はその後すぐに「お願いします」と言って頭を下げた。AとBも即座に続く。
女将さんはしばらく黙っていた。
耐えきれず、俺は上目に女将さんの顔色を伺った。眉ひとつ動かさない、まるで予想していたかのような表情。
長い沈黙のように感じた。すると女将さんが肩の力をふっと抜いて笑った。
「そうかい。わかったよ。ほんとにもう、しょうがない子たちだねえ」
俺たちが安堵する間もなく、女将さんは給料の話、引き上げる際の部屋の掃除などの話を一方的にして、用意ができたら声をかけるように、と言い置いてその場を去った。
拍子抜けするくらいに話がすんなり通った。俺は安心すると同時に、不安に急かされる気持ちを抱いた。
そうと決まれば行動あるのみ。荷物は前の晩のうちにまとめてある。あとは部屋の掃除をするだけだ。
俺たちは部屋に戻って掃除に取り掛かった。とは言え、バイトを始めてからというもの、仕事が終われば近くの海で遊んだり、疲れてる日には戻ってすぐに寝るだけだったため、布団を片付けてしまえばそれほど汚れているところはなかった。
そんなわけで、小一時間ほどで掃除を終わらせた。
準備が整った、ということで俺たちは再び広間へ戻り、女将さんたちに挨拶をすることにした。