一万円札の福沢諭吉は何歳の時の顔?
1万円札に描かれている福沢諭吉の肖像は、1891年(明治24年)、彼が56歳のときのもので、慶応大学の資料室にあったものを使用したといわれています。
56歳といえば、ちょうど慶應義塾に大学部を発足した翌年になります。
諭吉の肖像としては、『福翁自伝』(福沢諭吉著、自叙伝。明治32年刊)の口絵になっているものが、最も円熟味のあるものとして多くの人から好まれています。その肖像は、椅子に腰かけおだやかな表情をしていますが、家族のあいだでは「年寄りくさい」ということで、評判が悪かったようです。
とはいえ、この写真が諭吉の元気なときの姿の最後の写真となってしまいました。家族の目には後に病気で倒れる前兆のようなものが感じられたのでしょうか。
家族のあいだで最も評判のよかったものは、50歳くらいの時分の、元気がよく生き生きと写っている写真です。
その頃、彼は『時事新報』を創刊したり、『学問之独立』『日本婦人論』『男女交際論』を上梓するなど、精力的に活動していました。そして長女の結婚や四男の誕生を迎えるなど、おめでたい出来事も続いていました。
諭吉は晩年も勉強を続け、言論活動や執筆にも積極的に関わっていました。1898年(明治31年)に脳溢血で倒れた時は、一時的に危篤に陥るも、なんとか回復し、1901年(明治34年)に再度同じ病で倒れ、享年68(満66歳)という早さで亡くなりました。
諭吉の葬儀には1万5,000人が葬列に加わったそうです。その功績は生前から認められていましたが、後にお札の肖像として採用されるに至りました。