リアル(6)現実

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○○からは、あの晩のそれからを聞いた。

あの晩、逃げたした時には、林は明らかにおかしくなっていた。

林の車の中で友達と待っていた○○には、まず間違いなくヤバい事になっているって事がすぐに分かったそうだ。

でも、後部座席に飛び乗ってきた林の焦り方は尋常じゃ無かったらしく、車を出さざるを得なかったらしい。

 

「反抗したりもたついたりしたら、何されっか分かんなかったんだよ」

 

○○の言葉が状況を物語っていた。

○○は、車が俺の家から離れ高速の入り口近くの信号に捕まった時に、逃げ出したらしい。

 

「だってあいつ、途中から笑い出したり、震えたり、『俺は違う』とか『そんな事しません』とか言い出して怖いんだもんよ」

 

アイツが何か囁いてる姿が甦ってきて、頭の中の映像を消すのに苦労した。

俺の家に戻って来なかったのは、単純に怖すぎたからだって。

「根性無しですみませんでした」って謝ってたから許した。俺が○○でも勘弁だしね。

その後、林がどうなったかは誰も知らない。

さすがに今回の件では○○も頭に来たらしく、林を紹介した友達を問い詰めたらしい。

結局、林は詐欺師まがいにも成りきれないようなどうしようも無いヤツだったらしく、唆されて軽い気持ち(小遣い稼ぎだってさ)で紹介したんだと。

○○曰く、「ちゃんとボコボコにしといたから勘弁してくれ!」との事。

でも、こんな状況を招いたのが自分の情報だってのには参ったから、今度は持てる人脈を総動員したが。

こんなことに首を突っ込んだり聞いた事がある奴が回りにいるはずもなく、「多分」とか「〜だろう」とかってレベルの情報しか無かったんだ。

だから、『何か条件が幾つかあって、偶々揃っちゃうと起きるんじゃないか』としか言えなかった。

 

その後、俺はS先生の言い付けを守って、毎月一度S先生を訪ねた。

最初の一年は毎月、次の一年は三か月に一度。

○○も俺への謝罪からか、何も無くても家まで来ることが増えたし、S先生のところに行く前と帰ってきた時には、必ず連絡が来た。

アイツを見てから二年が経った頃、S先生から、「もう心配いらなそうね。Tちゃん、これからはたまに顔出せばいいわよ。でも、変な事しちゃだめよ」って言ってもらえた。

本当に終ったのか…俺には分からない。

S先生はその三ヶ月後、他界されてしまった。

敬愛すべきS先生、もっと多くの事を教えて欲しかった。

ただ、今は終ったと思いたい。

 

S先生のお葬式から二ヶ月が経った。

寂しさと、大切な人を亡くした喪失感も薄れ始め、俺は日常に戻っていた。

慌ただしい毎日の隙間に、ふとあの頃を思い出す時がある。

あまりにも日常からかけ離れ過ぎていて、本当に起きた事だったのか分からなくこともある。

こんな話を誰かにするわけもなく、またする必要もなく、ただ毎日を懸命に生きてくだけだ。

 

祖母から一通の手紙が来たのは、そんなごくごく当たり前の日常の中だった。

封を切ると、祖母からの手紙と、もう一つ手紙が出てきた。

祖母の手紙には、俺への言葉と共にこう書いてあった。

『S先生から渡されていた手紙です。四十九日も終わりましたので、S先生との約束通りTちゃんにお渡しします。』

S先生の手紙。

今となってはそこに書かれている言葉の真偽が確かめられないし、そのままで書く事は俺には憚られるので、崩して書く。

 

― ― ― ― ― ―

 

Tちゃんへ

ご無沙汰しています。Sです。あれから大分経ったわねぇ。

もう大丈夫? 怖い思いをしてなければいいのだけど……。

いけませんね、年をとると回りくどくなっちゃって。

今日はね、Tちゃんに謝りたくてお手紙を書いたの。

でも悪い事をした訳じゃ無いのよ。あの時はしょうがなかったの。でも、ごめんなさいね。

 

あの日、Tちゃんがウチに来た時、先生本当は凄く怖かったの。

だってTちゃんが連れていたのは、とてもじゃ無いけど先生の手に負えなかったから。

だけどTちゃん怯えてたでしょう? だから先生が怖がっちゃいけないって、そう思ったの。

本当の事を言うとね、いくら手を差し伸べても見向きもされないって事もあるの。あの時は、運が良かったのね。

 

Tちゃん、本山での生活はどうだった? 少しでも気が紛れたかしら?

Tちゃんと会う度に、先生まだ駄目よって言ったでしょう? 覚えてる?

このまま帰ったら酷い事になるって思ったの。

だから、Tちゃんみたいな若い子には退屈だとは分かってたんだけど、帰らせられなかったのね。

先生、毎日お祈りしたんだけど、中々何処かへ行ってくれなくて。

でも、もう大丈夫なはずよ。近くにいなくなったみたいだから。

でもねTちゃん、もし、もしもまた辛い思いをしたら、すぐに本山に行きなさい。

あそこなら多分Tちゃんの方が強くなれるから、中々手を出せないはずよ。

 

最後にね、ちゃんと教えておかないといけない事があるの。

あまりにも辛かったら、仏様に身を委ねなさい。

もう辛い事しか無くなってしまった時には、心を決めなさい。

決してTちゃんを死なせたい訳じゃないのよ。

でもね、もしもまだ終っていないとしたら、Tちゃんにとっては辛い時間が終らないって事なの。

 

Tちゃんも本山で何人もお会いしたでしょう?

本当に悪いモノはね、ゆっくりと時間をかけて苦しめるの。決して終らせないの。

苦しんでる姿を見て、ニンマリとほくそ笑みたいのね。

悔しいけど、先生達の力が及ばなくて、目の前で苦しんでいても何もしてあげられない事もあるの。

あの人達も助けてあげたいけど……どうにも出来ない事が多くて。

先生何とかTちゃんだけは助けたくて手を尽くしたんだけど、正直自信が持てないの。

気配は感じないし、いなくなったとも思うけど、まだ安心しちゃ駄目。

安心して気を弛めるのを待っているかも知れないから。

いいTちゃん。決して安心しきっては駄目よ。

いつも気を付けて、怪しい場所には近付かず、余計な事はしないでおきなさい。

先生を信じて。ね?

 

嘘ばかりついてごめんなさい。

信じてって言う方が虫が良すぎるのは分かっています。

それでも、最後まで仏様にお願いしていた事は信じてね。

Tちゃんが健やかに毎日を過ごせるよう、いつも祈ってます。

 

 

― ― ― ― ― ―

 

読みながら、手紙を持つ手が震えているのが分かる。

気持ちの悪い汗もかいている。鼓動が早まる一方だ。

一体、どうすればいい? まだ、終っていないのか?

急にアイツが何処かから見ているような気がしてきた。

もう、逃れられないんじゃないか?

もしかしたら、隠れてただけで、その気になればいつでも俺の目の前に現れる事が出来るんじゃないか?

一度疑い始めたらもうどうしようもない。全てが疑わしく思えてくる。

S先生は、ひょっとしたらアイツに苦しめられたんじゃないか?

だから、こんな手紙を遺してくれたんじゃないか?

結局、何も変わっていないんじゃないか?

林は、ひょっとしたらアイツに付きまとわれてしまったんじゃないか?

一体アイツに何を囁かれたんだ。

俺とは違うもっと直接的な事を言われて、おかしくなったんじゃないか?

S先生は、俺を心配させないように嘘をついてくれたけど、『嘘をつかなければならないほど』の事だったのか。

結局、それが分かってるから、S先生は最後まで心配してたんじゃないのか?

疑えば疑うほど混乱してくる。どうしたらいいのかまるで分からない。

 

ここまでしか、俺が知っている事はない。

二年半に渡り、今でも終ったかどうか定かではない話の全てだ。

結局、理由も分からないし、都合よく解決できたり、何かを知ってる人がすぐそばにいるなんて事は無かった。

何処から得たか定かではない知識が招いたものなのか、あるいは、それが何かしらの因果関係にあったのか。

俺には全く理解できないし、偶々としか言えない。

でも、偶々にしてはあまりにも辛すぎる。

果たして、ここまで苦しむような罪を犯したのだろうか?犯していないだろう?

だとしたら、何でなんだ? 不公平過ぎるだろう。それが正直な気持ちだ。

 

俺に言える事があるとしたらこれだけだ。

 

「何かに取り憑かれたり狙われたり付きまとわれたりしたら、マジで洒落にならんことを改めて言っておく。最後まで、誰かが終ったって言ったとしても、気を抜いちゃ駄目だ」

 

そして、最後の最後で申し訳ないが、俺には謝らなければいけない事があるんだ。

この話の中には小さな嘘が幾つもある。

これは多少なりとも分かり易くするためだったり、俺には分からない事もあっての事なので目をつぶって欲しい。

おかげで意味がよく分からない箇所も多かったと思う。合わせてお詫びとさせて欲しい。

ただ、謝りたいのはそこじゃあない。

もっと、この話の成り立ちに関わる根本的な部分で俺は嘘をついている。

気付かなかったと思うし、気付かれないように気を付けた。

そうしなければ伝わらないと思ったから。

矛盾を感じる事もあるだろう。がっかりされてしまうかもしれない。

でも、この話を誰かに知って欲しかった。

 

 

 

俺は○○だよ。

今更悔やんでも悔やみきれない。

 

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