リゾートバイト(16)
「母親の体には自害を防ぐための処置が施されたようですが、詳細は分かりません。その後、〈おんどう〉の周りに注連縄(しめなわ)を巻きつけ、住職と従者でその周りを取り囲むようにして座り、経を唱え始めたそうです。中から母親の呻き声が聞こえましたが、その声が子に気づかれぬよう、全員で大声を張り上げながら経を唱え続けたそうです」
坊さんの声に力が入る。
「住職たちが必死に経を唱える中、いよいよ子の姿が現れます。子は親を探して〈おんどう〉の周りをぐるぐると回り始めます。何を以って親の場所を捜すのか、果たして経が役目を成すのかもわからない状態で、とにかく住職たちは必死に経を唱えました」
そこで坊さんは一息ついた。この話をするにも体力がいるのだろうか。坊さんは座っている姿勢を少し変えて、また話し始めた。
「〈おんどう〉の周りを回っていたその子は、次第に歩くことを困難とし、四足歩行を始めたそうです。その後、四肢の関節を大きく曲げ、蜘蛛のように地を這い回ったそうです。それはまるで、人間の退化を見ているようだった、と記されています。その後、なにやら呻き声を上げたかと思うとその〈モノ〉の四肢は失われ、芋虫のような形態でそこに転がったといいます」
俺は坊さんの話を聞いているあいだ、昨日の怪異を頭の中で重ねていた。あの壊れた機械のような言葉を発する黒い異形だ。
「そしてその〈モノ〉は夜が明けるにつれて小さくすぼみ、最終的に残ったのが〝臍の緒〟だったのです」
「もしかして、その〝臍の緒〟って……」Aが言った。
すると坊さんは静かに答えた。
「今朝、〈おんどう〉奥の岩の上に転がっていたものです」
俺たちは呆然として箱に目を向けた。
「なんで? なんで俺たちなんですか?」
俺は我慢できずに聞いた。
「詳しくはわかりません。この寺には、代々の住職たちの手記が残されていますが、母親ではない者にこのような現象が起きた事例は、見当たりませんでした」
何より、と前置きして坊さんはぐっと身を前に傾けた。
「肝心の母親の行った儀式について、これがまだ謎に包まれたままなのです」
「母親に聞かなかったんですか?」とBが言った。
「聞かなかったのではなく、聞けなかったのです」
俺たちが返す言葉を探していると、坊さんはまた話し始めた。
「住職たちが〈おんどう〉を開けて中を確認すると、疲れ果ててぐったりした母親がいたそうです。子を求めて一晩中叫んでいたのでしょう。すぐさま母親を外に運びだし手当てをしましたが、目を覚ました時には、母親は完全に正気を失っておりました。二度も子を失った悲しみからなのか、はたまた何か禍々しい怪異の所為なのか、それも分かりかねますが」
坊さんの話は続いた。
「そして村の者が捜索していたもう一人の母親ですが、一晩経を読み上げて疲れ果てた住職たちの元に、発見の知らせが届いたそうです。近海の岸辺に遺体となって打ち上げられていたと。母親は体中を何かに食い破られており、それでいて顔はとても幸せそうだったとあります。何が起きたのかはわかりませんが、住職の手記にはこうありました。子に食われる母親の最後は、完全な笑顔だった、と」
信じられない話だ。ただ俺たちは、昨日の体験を共有している。
「遺体となって見つかった母親の家は、村の者たちによる話し合いで取り壊されることとなり、その際に家の中から母親の書いたものらしいメモが見つかったそうです」
そう言って坊さんは、メモの内容を俺たちに説明してくれた。
○月X日 堂の作成を開始する
△月X日 変化なし
・・・・・
□月X日 ※※が帰ってくる
□月X日 移動が困難な状態
□月X日 手足が生える
□月X日 はいはいを始める
□月X日 四つ足で動き回る
□月X日 言葉を発する
□月X日 立つ
簡単に言うと、儀式を始めてから我が子の成長を記録したリストのようなものだ。どんな風に書かれていたのかは坊さんの話を聞いた俺の憶測でしかない。
堂というのは、二人目の母親が屋根裏に作っていたものらしく、父親はその存在に全く気づいていなかったそうだ。
坊さんが言うには、この成長記録に母親の心情がビッシリと書き連ねてあったらしい。