リゾートバイト(10)

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〈おんどう〉の中はひんやりしていた。

実際に、ここで飲まず食わずのまま一晩明かせるのかどうか不安だった。やっていけるのかと聞かれれば、やるしかない状況だとしか言いようがない。

建物自体はかなり古く、壁に所どころ隙間があった。そしてやはり小さい。

まだ昼時ということもあり、外の光が隙間から入り込んでいるため、AとBの顔もしっかり見えた。

顔を突き合わせていても何も喋ることができないという状況は、生まれて初めてだった。

「大丈夫だ」という意味を込めて俺が頷くと、AもBも頷き返してくれた。

しばらくすると、互いの顔を見合わせる回数も少なくなり、終いには各々が別の方向を向いていた。

喋りたくても喋れないもどかしさの中、後どれくらいの時間が残っているのか見当もつかない俺たちは、ただ漠然とその場にいることしかできなかった。

途方もない時間が流れ過ぎていると感じるのに、まだ外は明るい。

すると、Aがゴソゴソと何やら音を立て出した。

気になってAの方を見ると、Aは手に持った紙とペンを俺たちに見せた。

俺は直感的に思った。Aは坊さんの言うことを聞かずに、密かにペンを隠し持っていたのだ。

しかしよく見ると、紙はガムの包装紙だった。さすがにメモ用紙なんて気の利いた物を持っているはずはなかった。しかし――

俺は一瞬、ルール違反を指摘したくなったが、意思の疎通ができないこの状況で極限に心細くなっていたのも本心で、Aの取った行動に少し希望を持てた。

Aはまず、自分で紙に文字を書いて俺に手渡してきた。

『みんな大丈夫か?』

俺はAからペンを受け取ると、なるべく小さな文字で、余白を残すようにして書いた。

『俺は今のところ大丈夫。Bは?』

Bに紙とペンを差し出す。

『俺も平気。今は何も見えないし聞こえない』

Bの文字を確認すると、Aの元に紙とペンを戻した。

こんな感じで、俺たちの筆談が始まった。

『ガムの残り4枚。外紙と銀紙で8枚。文字はなるべく小さく』

Aから紙を受け取り、俺が隣に書き込む。

『OK。夜になったらできなくなるから今のうちに喋ろう』

『今何時くらい?』とA。

『わからん』俺が返す。

『5時くらい?』とBが書き込む。

『ここに来たのは1時くらいだった』Aの文字。

『なら4時くらいか』俺が書いてBに渡す。

『まだ3時間しかたってないか』

『長いな』

こんな感じで他愛もない会話で1枚目が終わった。

するとAが別の紙に『文字でかい』と書いて俺によこした。

俺は芝居じみた仕草で謝罪を表した。

するとAは俺にペンを差し向けたので、『腹減った』と書き込んでBに手渡した。

Bは何も書かずにAに紙を渡した。

Aは俺の文字を読んで『俺も』と書き加え、俺に渡してきた。

あれだけ心細かったのに、いざ話を続けようとすると、話題が出てこない。

俺は日が沈む前に言っておかなければならないことを考えた。

『何があっても、最後までがんばろうな』

Bはそれを読んで、『うん』と書き足した。

『俺、叫んだらどうしよう』Aの反応だ。

『なにか口に突っ込んどけ』と書いてBへ。

『突っ込むものなんてないよ』とBの答え。

『服を脱いでおくか』とAが書いた。

『何も起きない。そう信じよう』

Bは俺の書いた内容にはコメントしなかった。

書いたあとで、俺も自分で何を言ってるんだろうと思った。

坊さんは何も起きないとは一言も発していない。むしろ、これから何が起こるのか予想しているような素振りで俺たちに忠告をしていた。

それを考えると、俺は一刻も早く時間が過ぎてくれることを願う一方で、本当は夜が来るのをすごく怖がっていた。

夜だけじゃない。あの時、話を聞いている時点で怖かった。唯一の救いが、互いの存在を光の下で確認できることだった。

夜になると……俺は一挙に気分が重くなった。

Bの持っていた紙とペンをもらい、俺は『何か喋れ時間もったいない』と書いてAに渡した。

Aはしばらく考えてから、何かをひねり出すように書き出し、俺に渡してきた。

『じゃあ、帰ったら何するか』

『いいね。俺はまずツタヤだな』Bに回す。

『なんでツタヤ?』BがAではなく俺に戻す。

『DVD返すの忘れてた』Aに渡すとニヤついて文字を書き、俺に返した。

『どんだけ延泊だよ』

気を紛らわせるための嘘だった。だが、結果的に雰囲気が和めばなんでもいい。AもBも、それぞれ帰ったら何をするかを書いた。

少しずつだが、確実に時間が経過しているように思えた。そして残りの紙も少なくなった頃、Bはある言葉を紙に書き留めた。

『俺は坊さんに言われたことを必ず守る。死にたくない』

俺とAは、最後の文字列に目を止めた。

「死にたくない」なんて言葉、生まれてこの方、本気で発したことなどあっただろうか。きっとAも同じ気持ちだろう。

いま、目の前にいる奴は本気でそれを心配している。その事実がすごく重かった。考えを改めなければいけない、と思った。

俺はBの目をしっかりと見て、頷いた。

 

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