もがく女

その日は泊りがけで、友人と湖まで釣りに来ていた。

初日ということもあって、軽く釣りを楽しんだあと、焚火を炊いてバーベキューをすることにした。

陽も暮れてきたあたりで食材を用意し、そろそろ食べようかという頃、突然、湖の方から女の叫び声が聞こえた。

 

 

「助けてぇー!!」

 

 

見ると若い女性が湖の沖の方で必死にもがいていた。

完全に溺れている。足が着かないほどの深い場所だった。

とっさに、助けなければと思い立ち上がると、友人に腕を掴まれた。

 

「何すんだよ!」

 

俺は勢いで怒鳴ってしまった。

すると友人は湖の反対方向へ俺を引っ張った。

 

「おい、帰るぞ!」

 

「は?」

 

完全に意味が分からなかった。目の前で溺れている人がいるというのに、なぜ彼はそんなに冷静でいられるのだろうか。

 

「どういうことだよ! 助けなきゃ!」

 

友人は俺の疑問を無視するように荷物をまとめ始めた。

 

「冷静になってよく見てみろ! あれは人じゃない!」

 

「え!?」

 

友人の言葉を聞いて、さっと熱が冷めた。

俺は言われた通り冷静になったつもりで、湖の方に視線を戻した。

 

さっきまで水の中で必死にもがいていた女が、じっとこちらを見ている。

 

ありえない……

 

女は沈むことなく湖面から顔を出していた。まるで凪に浮かぶ釣り用のウキのように。

日が暮れていたせいで、女の顔に影が落ちていた。

遠くからでも分かる。その顔が、ニィっと歪んだように笑った。

俺は恐ろしくなって、手近な物から片付け始めた。

気がつくと友人は荷物をどんどん車に運び込んでいた。

もし助けに行っていたら、どうなっていただろうか。

俺は考えるのが怖くて、とにかく体を動かし続けた。

途中、怖いもの見たさで、つい女の方を振り返ってしまった。

女はまだそこにいて、何かをブツブツとつぶやいていた。

黒いシルエットが湖面に反射して不気味に揺らいでいるように見えた。

あの位置は確実に足が着く深さではなかった。それなのに女は超然とした態度で湖面に浮かんでいた。

そこで何か不幸な事件があったとか、幽霊だとか因果関係なんかは知りたくない。俺はそういった事には興味がない。ただ、あの場所には二度と近づかないだけだ。

荷物を積み込み終わって車を発進させるまで、俺は二度と湖を振り返らなかった。

 

 

暗闇から見つめる視線

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