薄い霊
ある日を境に、同僚の男が急に仕事に出てこなくなったため、心配した上司と二人で見に行くことになった。
同僚の住む部屋に到着した時、上司がドアをノックしようとして手を止めた。
どうやらドアが半開きになっていたらしく、ノックをするまでもなく開いてしまった。
「なんだよ、無防備ですね」
俺が言うと、上司は無言でそっとドアを開けた。
「おーい、いるかー?」
上司の呼びかけに反応は無かった。
キッチンの付いた単身者用のワンルームだった。廊下のすぐ先に部屋があった。
部屋の中を覗くと、同僚のMは部屋の隅でぼうっとしていた。
「あれ、いるじゃないか」
上がるぞ、と言って二人で部屋に踏み込んだ。
とりあえず無事な様子を確認したので、上司が事情を探る。
「俺が、いなくなると、女が、寂しがるから……」
Mは放心したような状態でぽつり、ぽつり、と語った。
どこか様子がおかしいので、とにかく一旦この部屋から出よう、と促してみた。
しかし、Mは動かない。
「女が、寂しがるから」
そんな事を繰り返すばかりで、一向に動こうとしない。
「女? どこにいるって?」
敢えて俺は同僚の耳元で強めの口調で尋ねた。
「いるよ……」
そう言ってMは薄笑いを浮かべた。
上司と俺は部屋じゅうを見回して互いに肩をすくめた。
「おい! どうした! 女なんかどこにもいないぞ!」
上司はMの頬を何度もはたいた。正気を失った男を覚醒させるには、あとは水をぶっかけるぐらいしか思いつかなかった。
するとMはキッチンの方を指差して、寝言のような声を出した。
「いるよ……ほら……」
……いた……
冷蔵庫と壁の隙間――1センチにも満たないその隙間に、薄っぺらい女の幽体が浮かんでいた。
女の全身は隠れているはずなのに、なぜかこちらを見ているということが分かった。
空気の流れに合わせて、ゆらゆらと揺れている。それがなぜ分かるのかが、分からない。
俺は鳥肌が立ち、身震いを起こした。ここにいてはいけない、と思った。
上司も同じ気持ちだったようで、二人で顔を見合わせてから、ここを出ることを決めた。
部屋は狭く、廊下に出る際は必ずそこを通らなければならない。
俺は恐る恐る冷蔵庫に警戒の目を向けながら、その横を通って玄関に向かった。
その間、じっとこちらを見ているような気がした。
薄いはずなのに、どの角度から見ても、必ずこちらを見ているように感じる。
確かに薄い幽霊はそこにいた。それが同僚を駄目にしてしまったんだ、と思った。
後日、上司のツテで霊媒師だか精神カウンセラーだかを呼んで、同僚を外に連れ出すことに成功したとの報せを聞いた。
だが、俺はあまり深く知りたいとは思わなかった。あの女が俺にも見えてしまったという事実の方がショックだった。
上司は立ち直っているが、俺の方は分からない。
もしかしたら、あなたの家の隙間にも薄い霊がいるのかもしれない。