くねくね

僕が秋田にある祖母の実家に帰省した時の話。

年に一度、お盆にしか訪れる事のない祖母の家に着いた僕は、早速大はしゃぎで兄と外に遊びに行った。

都会とは違い、空気が断然うまい。

僕は、爽やかな風を浴びながら、兄と田んぼの周りを駆け回った。

そして、日が登りきり、真昼に差し掛かった頃、ピタリと風が止んだ。

と思ったら、気持ち悪いぐらいの生緩い風が吹いてきた。

僕は「ただでさえ暑いのに、何でこんな暖かい風が吹いてくるんだよ！」と言った。

しかし、兄は風のことなど気にせずに、別の方向を見ていた。

その方向には案山子（かかし）があった。

僕が「あの案山子がどうしたの？」と聞くと、「いや、その向こうだ」と兄が言って、ますます目を凝らした。

僕も気になり、田んぼのずっと向こうをジッと見た。

すると、確かに見えた。

何だ……あれは。

遠くからだからよく分からないが、人ぐらいの大きさの白い物体が、くねくねと動いている。

しかも周りには田んぼがあるだけ。

近くに人がいるわけでもない。

僕は一瞬奇妙に感じたが、ひとまずこう解釈した。

「あれ、きっと新種の案山子じゃない？　今まで動く案山子なんか無かったから、農家の人か誰かが考えたんだ！　多分さっきから吹いてる風で動いてるんだよ！」

兄は、僕の的確な解釈に納得した表情だったが、その表情は一瞬で消えた。

風がピタリと止んだのだ。

しかし例の白い物体は相変わらずくねくねと動いている。

兄は「おい、まだ動いてるぞ……あれは一体何なんだ？」と驚いた口調で言った。

兄は、気になってしょうがなかったのか、一旦家に戻り、双眼鏡を持って再び現場に戻ってきた。

兄は、少々ワクワクした様子で「最初俺が見てみるから、お前は少し待ってろよー！」と言って双眼鏡を覗いた。

すると、兄の顔が急変した。

みるみるうちに真っ青になり、冷や汗が尋常じゃないほど流れ、ついには持っている双眼鏡を落とした。

僕は、その変貌ぶりを恐れながらも、兄に聞いた。

「何だったの？」

兄はゆっくり答えた。

「わカらナいホうガいイ……」

すでに兄の声では無かった。

兄はそのままヒタヒタと家に戻っていった。

僕は、すぐさま兄を真っ青にしたあの白い物体を見てやろうと、落ちてる双眼鏡を取ろうとしたが、兄の言葉を聞いたせいか、見る勇気が無かった。

しかし、気になる。

遠くから見たら、ただ白い物体が奇妙にくねくねと動いているだけだ。

少し奇妙だが、それ以上の恐怖は起こらない。

……よし、見るしかない。

どんな物が兄に恐怖を与えたのか、自分の目で確かめてやる、と思った。

僕は落ちてる双眼鏡を取って覗こうとした。

その時、祖父がもの凄くあせった様子でこっちに走ってきた。

僕が「どうしたの？」と尋ねる前に、祖父が切迫した顔でまくし立てた。

「あの白い物体を見てはならん！　見たのか？　お前その双眼鏡で見たのか！」

僕が「いや……まだ……」と少しキョドった感じで答えたら、祖父は安心した様子でその場に泣き崩れた。

僕は、わけの分からないまま、家に戻された。

家に帰ると、みんな泣いていた。

僕の事で――いや、違った。

よく見ると、兄だけ狂ったように笑いながら、まるであの白い物体のようにくねくね、くねくねと乱舞している。

その兄の姿に、あの白い物体よりも強烈な恐怖感を抱いた。

そして家に帰る日、祖母がこう言った。

「兄はここに置いといた方が暮らしやすいだろう。あっちだと狭いし、世間の事を考えたら数日も持たん。うちに置いといて、何年か経ってから、田んぼに放してやるのが一番だ」

僕はその言葉を聞き、大声で泣き叫んだ。

以前の兄の姿は、もう、無い。また来年実家に行った時に会ったとしても、それはもう兄ではない。

どうしてこんな事に。ついこの前まで仲良く遊んでたのに、何で……。

必死に涙を拭い、車に乗って、実家を離れた。

祖父たちが手を振ってる中で、変わり果てた兄が、一瞬、こちらに手を振ったように見えた。

遠ざかってゆく中、兄の表情を見ようと、双眼鏡で覗いたら、兄は確かに泣いていた。

表情は笑っていたが、今まで兄が一度も見せなかったような、最初で最後の悲しい笑顔だった。

そして、すぐ曲がり角を曲がったときにもう兄の姿は見えなくなったが、涙を流しながらずっと双眼鏡を覗き続けた。

「いつか元に戻るよね……」そう思って、兄の元の姿を懐かしみながら、緑が一面に広がる田んぼを見晴らしていた。

そして、兄との思い出を回想しながら、ただ双眼鏡を覗いていた。

その時だった。

見てはいけないと分かっている物を、間近で見てしまったのだ。

くねくね