止めて
これはあるカップルが地元の近くの山にある心霊スポットに行ったときの話です。
彼氏が車を運転して、助手席に彼女が乗っていました。
車のカーナビで目的の心霊スポットをセットしたのが夕方過ぎ。その時、すでに薄暗くなっていました。
郊外を抜けて山道に入るころには、空は真っ暗です。
雑木林に挟まれた曲がり道をノロノロと進んでいきます。
カーナビの指示通りに運転していると「目的地まで500mです」とアナウンスが知らせてくれました。
助手席の彼女は、車内に流れる音楽に合わせて鼻歌を歌っています。
「もうそろそろだね」と軽い調子で彼女が言いました。
雰囲気を盛り上げるために彼氏は音楽を消しました。車内が無音になった途端、さっきまで明るいポップスを聞いていた感覚との落差で、余計に怖く感じました。
すると彼女は左右を見回して「何も見えないね」と言いました。
確かに雑木林に挟まれた山道は、ヘッドライトで照らしている部分以外は真っ暗です。
彼氏はサイドウィンドウを開けて、外の空気を確かめました。
夏の夜の生暖かい風が、車内にすうっと入り込みます。
彼氏は少し湿度が高いなと思いました。
カーナビが「目的地まであと100mです」と知らせた時、彼女が「苦しい……」と言い出しました。
驚かせようとしているのか、雰囲気にやられてお腹でも痛くなったのか、と思い彼氏は助手席を見ました。
彼女は額から汗を流して両腕を抱いて俯いています。
異変を感じた彼氏は、とにかく車を停められる場所まで急ごうと思いました。
なだらかな斜面の曲がりくねった道は、片道一車線の狭い県道です。街灯もろくに立っていないので路肩に停めるには危険すぎます。
「大丈夫?」と彼氏は聞きました。
前方を注視しながら彼女の返事を待ちますが、彼女は声を出しませんでした。
雑木林が開けて左右に雑草の生えた空き地が広がる場所へ出たので、彼氏はアクセルを踏んでスピードを出しました。その先にカーブが見えます。
「目的地まであと10mです」とカーナビが言いました。
その直後。
「止めて!」
突然彼女が、今までに聞いたこともないような声で叫びました。
「早く! 止まれ!」
彼氏はびっくりして急ブレーキを掛けました。要求に従ったというよりも、ただ反射的にそうしただけです。
彼女が助手席のシートベルトをもがくように外して、車から降りると草むらの陰で嘔吐しました。
彼氏は心配になって運転席から飛び出しました。
彼女は車の斜め前方へ飛び出していったので、ヘッドライトで背中が照らされています。
ボンネットを回り込んでうずくまる彼女の背中に近づいた彼氏は、そこでぎょっとして立ち止まりました。
車が停まっている位置から数メートル先の地面が、無かったのです。
土砂崩れかなにかで道は流されており、下が見えない崖となっていました。
深い呼吸を整えるようにして、彼女が言いました。
「間に合った……」
彼氏が駆け寄ると、彼女は元の状態に戻っていたそうです。