リアル(3)
話が前後するが、俺が仏像の前で南無阿弥陀仏を繰り返していた時、母は祖母に電話をかけていた。
祖母からすぐにS先生に相談が行き(相談と言うよりも、助けて下さいってお願いだったらしいが)最終的には、S先生がいらしてくれる事になっていた。
ただし、S先生もご多忙だし、何より高齢だ。こっちに来れるのは三週間先に決まった。
つまり、三週間は不安と恐怖と、何か起きてもおかしか無い状況に居なければならなかった。
そんな状況だから、少しでも出来るだけの事をしてないと、気持ちが落ち着かなかった。
○○が電話を折り返してきたのは、夜十一時を過ぎた頃だった。
『待たせて悪いね。知り合いに相談したら連絡入れてくれて、明日行けるって』
「明日?」
『ほら、明日日曜じゃん?』
そうか、いつの間にか奴を見てから五日も経つのか。不思議と会社の事を忘れてたな。
「分かった。ありがと。ウチまで来てくれるの?」
『家まで行くって。車で行くらしいから、住所メールしといて』
「お前はどーすんの? 来て欲しいんだけど」
『行く行く』
「金、後でも大丈夫かな?」
『多分大丈夫じゃね?』
「分かった。近くまで来たら電話して」
何とも段取りの悪い話だが、若僧だった俺には仕方の無い事だった。
その晩、夢を見た。
寝てる俺の脇に、白い和服をきた若い女性が正座していた。
俺が気付くと、三指をつき深々と頭を下げた後、部屋から出ていった。
部屋から出る前に、もう一度深々と頭を下げていた。
この夢がアイツと関係しているのかは分からなかったが。
翌日、昼過ぎに○○から連絡が来た。電話で誘導し出迎えた。
来たのは○○とその友達、そして三十代後半くらいだろう男が来た。
普通の人だと思えなかったな。チンピラみたいな感じだったし、何の仕事をしてるのか想像もつかなかった。
俺がちゃんと説明していなかったから、両親が訝しんだ。
まず間違いなく偽名だと思うが、男は林と名乗った。
「T君の話は彼から聞いてましてね。まー厄介な事になってるんです」(今さらですまん。Tとは俺、会話中の彼は○○だと思って読んでくれ)
「それで、林さんはどういった関係でいらしていただいたんですか?」父は言った。
「いやね、これもう素人さんじゃどーしようもなぃんですよ。お父さん、いいですか?信じられないかも知れませんが、このままだとT君、危ないですよ?で、彼が友達のT君が危ないから助けて欲しいって言うんでね、ここまで来たって訳なんですよ」
「Tは危ないんでしょうか?」母が言った。
「いやね、私も結構こういうのは経験してますけど、こんなに酷いのは初めてですね。この部屋いっぱいに悪い気が充満してます」
「……失礼ですが、林さんのご職業をお聞きしても良いですか?」と父が聞いた。
「あー、気になりますか? ま、そりゃ急に来てこんな話したら怪しいですもんねぇ。でもね、ちゃんと除霊して、辺りを清めないと、T君、ほんとに連れて行かれますよ?」
すると母が「あの、林さんにお願いできるでしょうか?」
「それはもう、任せていただければ。こーいうのは、私みたいな専門の者じゃないと駄目ですからね。ただね、お母さん。こっちとしとも危険があるんでね、少しばかりは包んでいただかないと。ね、分かるでしょ?」
「いくらあればいいんです?」と父が言った。
「そうですね〜、まぁ二百はいただかないと……」
「えらい高いな!?」
「これでも彼が友達助けて欲しいって言うから、わざわざ時間かけて来てるんですよ? 嫌だって言うなら、こっちは別に関係無いですからね〜。でも、たった二百万でT君助かるなら、安いもんだと思いますけどね」
林は続ける。「それに、T君もお寺に行って相手にされなかったんでしょう? 分かる人なんて一握りなんですわ。また一から探すんですか?」
俺は黙って聞いてた。
さすがに二百万って聞いた時は○○を見たが、○○もばつの悪そうな顔をしていた。
結局、父も母も分からないことにそれ以上の意見を言える筈もなく、渋々任せることになった。
林は、早速今夜に除霊をすると言い出した。
準備をすると言い、一度出掛けた(出がけに、両親に準備にかかる金をもらって行った)。
夕方に戻ってくると、蝋燭を立て、御札のような紙を部屋中に貼り、膝元に水晶玉を置き数珠を持ち、日本酒だと思うが、それを杯に注いだ。何となくそれっぽくなって来た。
「T君。これからお祓いするから。これでもう大丈夫だから。お父さん、お母さん。すみませんが、一旦家から出ていってもらえますかね?もしかしたら、霊がそっちに行く事も無い訳じゃないですから」
両親は不本意ながら、外の車で待機する事になった。
日も暮れて辺りが暗くなった頃、お祓いは始まった。
林はお経のようなものを唱えながら、一定のタイミングで杯に指をつけ、俺にその滴を飛ばした。
俺は半信半疑のまま、布団に横たわり目を閉じていた。林からそうするように言われたからだ。
お祓いが始まってから大分たった。
お経を唱える声が途切れ途切れになりはじめた。
目を閉じていたから、嫌な雰囲気と、少しずつおかしくなってゆくお経だけが俺に分かることだった。
最初こそ気付かなかったが、首がやけに痛い。痒さを通り越して、明らかに痛みを感じていた。
目を開けまいと、痛みに耐えようと歯を食いしばっていると、お経が止まった。
しかしおかしい。
良く分からないが、区切りが悪い終り方だったし、終わったにしては何も声をかけてこない。
何より、首の痛みは一向に引かず、寧ろ増しているのだ。
寒気も感じるし、何かが布団の上に跨がっているような気がする。
目を開けたらいけない。それだけは絶対にしてはいけない。
分かってはいたが……開けてしまった。
目を開けると、恐ろしい光景が飛び込んできた。
林は、布団で寝ている俺の右手側に座りお祓いをしていた。
林と向き合うように、俺を挟んでアイツが正座していた。
膝の上に手を置き、上半身だけを伸ばして林の顔を覗き込んでいる。
林の顔とアイツの顔の間には、拳一つ分くらいの隙間しかなかった。
不思議そうに、顔を斜めにして、梟のように小刻みに顔を動かしながら、聞き取れないがぼそぼそと呟きながら、林の顔を覗き込んでいた。
今思うと、林に何かを囁いていたのかもしれない。
林は少し俯き気味に、目線を下に落としたまま瞬きもせず、口はだらしなく開いたまま涎を垂らしていた。
少し顔が笑っていたように見えた。時々小さく頷いていた。
俺は瞬きも忘れ凝視していた。
不意にアイツの首が動きを止めた。次の瞬間、顔を俺に向けた。
俺は慌てて目をギュッと閉じ、布団を被り、ひたすら南無阿弥陀仏と唱えていた。
俺の顔の間近で、アイツが梟のように顔を動かしている光景が瞼に浮かんできた。恐ろしかった。
ガタガタと音が聞こえ、階段を駈け降りる音が聞こえた。林が逃げ出したようだ。
俺は怖くて怖くて布団に潜り続けていた。
両親が来て、電気を点けて布団を剥いだとき、丸まって身体が固まった俺がいたそうだ。
林は両親に見向きもせず車に乗り込み、待っていた○○、○○の友達と供に何処かへ消えていった。
後から○○に聞いた話では、「車を出せ」以外は言わなかったらしい。
解決するどころか、ますます悪いことになってしまった俺には、三週間先のS先生を待っている余裕など残っていなかった。