竹林の奥に

小学生の時の記憶。

僕の育った町には昔、雑木林があった。

ただ、その林は少し変わっていて、中に入って途中まで行くと、ある部分を境に突然竹林に変わっている部分があった。

その竹林の前には有刺鉄線で柵が作られていたため、中に入ることが出来ないようになっていた。

雑木林の面積自体はそれほど大きい物ではなかったが、ちょうど反対側の川のカーブに沿うようになっていて、対岸の川岸から見ると竹林の「背」が見えるようになっていた。

川と竹林のあいだは、人口的なコンクリートの壁で固められていて、かなりの高さがあった。人が竹林に入るためには、やはり林の正面から入り有刺鉄線を越えるしかなかった。

その当時の僕は小学生で、友人同士で秘密基地を作ったり、川沿いを歩いて探検に出かけたりして遊んでいた。

当然、雑木林は関心の的となる。あの竹林の中に何があるのかという話題になった。

所詮、小学生の男子が考えることと言えば「一億円が埋まってる」とか「えっちな本が落ちている」という程度のものだった。

それでも僕たちはワクワクしながら、妄想を膨らませて楽しんでいた。

これまでも竹林の話をしたことはあったが、「有刺鉄線の向こう側は危ないから入ってはいけない」という暗黙のルールがあっため、一線を越えることはなかった。

なんとなくそうやって教えられてきたから守っていただけなのだが、小学生も高学年になってくると好奇心の方が強くなってくる。

そして遂に、僕たちはあの竹林の中へ踏み込むことを決意する。

 

 

次の日曜日。同じクラスの遊び仲間が集まった。

僕を含めて四人の小学生は、初めて味わう緊張感で落ち着きがなかった。

林の入り口に立った僕たちは、誰が一番先頭を歩くかで揉めた。

結局ジャンケンで負けた僕が先頭を歩くハメになった。

林の中は何度も入ったことがあるので余裕だった。

落ち葉や小枝の混じる土を踏みしめる感覚は好きだった。晴れているのに地面が少し湿っているのも、冒険感覚が増して良かった。

 

「うわーっ!」

 

一番後ろにいた意気地なしのT君が突然叫んだ。

 

「なに?」

「どうした!?」

 

皆も足を止めて辺りを警戒した。

どうやら首に虫がまとわりついただけらしい。

 

「ビビらせんなよー!」

 

T君はブーイングの嵐を浴びた。

そうやって騒いでいるうちに、有刺鉄線が視界に見えた。

竹林の方はやけに薄暗かった。昼真だというのに、高く伸びきった竹が、完全に太陽を遮っていた。

風に揺られて笹のこすれる音が耳に飛び込んで来た。

 

ザワザワ……

ザワザワザワ……

 

「なんか、怖ぇーな……」

 

僕の後ろにいたM君が呟いた。

 

「おいよせよー!」

「ビビッてんのかー?」

 

みんな強がっているのは明らかだった。無意識に声が上ずっている奴さえいる。僕も無意識のうちに大きな声で喋っていた。

だんだんと有刺鉄線が近づいてくる。柵の周辺は落ち葉が深くて足の底が埋まるほどだった。

ここまで来たんだし行くしかないだろ、ということで、柵の壊れかけた部分を見つけて、横に張られた鉄線を足で上下に広げた。

有刺鉄線は錆びていたため、茶色く風化していて、触ると変な粉がついた。

僕が最初にくぐることになった。先頭なんだしお前から行けよ、とみんなに言われた。

反対側に立って、みんなの方に振り返ると、次に誰が行くのか牽制するように視線を交わし合っていた。

結局、A君が二番目、続いてM君、最後はT君だった。別に重要なことではないけど、こういった行動でパーティーの序列が決まったりする。

竹林の方に出ると、気のせいか少し寒く感じた。

 

 

ザワザワ……

ザワザワザワ……

 

 

何かあったらダッシュで逃げる、というルールを決めて、僕たちは奥へ歩き出した。

竹林は雑木林よりも密度が濃いため、体を横にして縫うように進まなければならなかった。

ひんやりとした空気が汗をかいた頬を撫でる。目の前に広がるのは青緑一色の竹林。まさかこんなに不気味だとは思わなかった。

太いものや細いもの、背の高いものや途中で折れているもの。足元には地面からいくつもの筍が顔を出している。

 

「何か……時間が止まってるみたいだね」

 

T君が言った。

確かに、変な表現かもしれないが、ザワザワと波音のように聞こえる笹の音は静かだ。

しばらく進むと、竹の隙間から明るい光が漏れている部分を発見した。

 

「あそこ、何かありそうだぜ」

 

A君が前方に指を突き出す。

皆でその光の方に向かった。A君がいつの間にか先頭を歩いていた。

青竹の隙間から黄色い光が差していて、とても不思議な光景に見えた。

どうしてその光が黄色く見えたのか、その理由はすぐに判明した。

竹の隙間を抜けると直径10メートルほどの空き地があり、その部分だけ竹が全部枯れていたのだ。

枯れた竹や笹の葉は黄色くなっているため、直射日光を反射してより明るく見える。

広場には、巨大なアリ地獄のようなすり鉢状の穴が二つと、朽ち果てた廃車が一台置いてあった。

 

「何だこれ?」

 

僕は竹林の切れ目から顔を出し、その領域に足を踏み入れるべきかどうか考え、躊躇していた。

するとM君が僕の懸念など一ミリも気にしないで、空き地の中へ飛び込んでいった。

 

「おい、この穴面白くね?」

 

M君がすり鉢状の穴に駆け寄って中を覗き込んだ。A君と僕が後に続いて、T君が最後に来た。

穴の中を覗き見ると、そこには何もなく、ちょうど僕たち小学生の身長と同じくらいの深さの空間があるだけだった。

 

「何もねーじゃん!」

 

そう言うとM君は、遠心力を使って斜面をぐるぐると回りながら穴の底まで駆け下りて行った。

全員がそれぞれ騒ぎ出した。

廃車を蹴飛ばしたり、穴の中でふざけあったりしていると、それは何の前触れもなく起こった。

 

 

 

「何やってんだコラァッ!」

 

 

 

突然大人に怒鳴られた僕たちは一目散にダッシュで逃げた。

僕は有刺鉄線から一番離れた位置にいたため、逃げ出すのが遅れて、声の方をはっきり見た。

その広場の反対側に腕を組んで立っている男がいた。そいつは物凄い形相で睨みを利かせ、まるで頑固親父が近所の悪ガキを追い払うような態度でこちらに来ようとしていた。

その怒鳴り顔の男を確かに視界に入れたはずなのに、途中からなぜかぼやけて表情が良く見えない。古びた茶色の着物を着ている姿だったことは何とか記憶できた。

僕は死に物狂いで逃げた。途中で泣き出すT君につられて、M君も涙目になっていた。

とにかくあの場所を離れたかった。竹林の有刺鉄線をいつ越えたのか覚えていなかった。

なんとか雑木林の入口まで来た時には、みんな汗だくで息を詰まらせ、今にも呼吸困難になるんじゃないかと思うような状態だった。

 

そんな中。

 

僕は震えが止まらなかった。

あの一瞬の出来事の間に、いくつもの恐ろしいものを目にしたような気がした。

男に怒鳴られる直前、廃車のトランクの隙間からわずかに見えた、トランクの内側にびっしりと御札が張り付けてあったこと。

男を見た時、背後にうっすらと廃屋のような物があったこと。しかも完全に倒壊していて人が住める状態では無かったこと。

そして、ぼやけて見えなかったはずの男の顔を、なぜかいま、はっきりと思い出せること。

 

 

男の目は一つしか無かった。顔の中央に一つ。

 

 

その時のことを先生や親になぜ言わなかったのか、今でも後悔している。

雑木林は徐々に縮小し、土地が売られて戸建ての家や介護施設になってしまった。

あの竹林を管理していたのは一体、誰なんだろう。

 

 

暗闇から見つめる視線

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