赤いちゃんちゃんこ
「赤いちゃんちゃんこ」は学校のトイレに関する怪異の一つ。
1960年代、つまり昭和の中頃から伝聞として広まったが、どの地域で誰が最初に語りだしたのかは、はっきりしない。
ある学校で、休み時間にトイレの個室に入った女子生徒が、どこからか声がするのに気づいた。
その時間、トイレには誰も居なかった。遠くの方で別の生徒たちが通り過ぎる祭に、少し話し声が聞こえるくらいだった。
生徒は急に怖くなった。がらんどうとしたトイレの空間に自分以外の気配を感じたからだ。
誰かの呼吸音が、蛇口から滴る水の音に混じって聞こえる。
そんな気がした。心臓の鼓動が早く激しくなるのを感じた。
生徒は身を縮めて息を殺した。
ドアの前に誰かが立っているような気がした。
「赤いちゃんちゃんこはいらんかね?」
生徒は何も答えなかった。怖くて何も答えられなかった。
「赤いちゃんちゃんこはいらんかね?」
生徒は息を殺した。早く去って欲しいとだけ思った。
「赤いちゃんちゃんこはいらんかね?」
時間が経って気配が消えたように感じた。別の生徒が入ってきて、賑やかな声がトイレに響いた。
女子生徒は大急ぎでトイレの水を流して、個室から飛び出すと職員室へ向かった。
その話を聞いた教師は、いたずらか聞き間違いだろう、と言って取り合わなかった。
教室に戻ってから担任に話をしても、似たような反応であしらわれた。
次の日、別の生徒からも同じような報告が寄せられた。そして、その数は日増しに増えていった。
生徒のあいだでも、それは噂となって広まった。教師たちも、さすがに無視できない状況となった。
数日後、不審者の可能性もあるため警察に相談した教員たちは、一人の若い婦警と警察官を迎えることとなった。
若い婦警が囮(おとり)になり、犯人をおびき寄せる作戦だった。
1階の女子トイレが一番多く事案が報告されていた。若い婦警は一番奥の個室に入り、授業中の閑散とした時間帯を見張ることになった。
制服の警察官は隣の男子トイレの個室で待機した。教員の中で体力に自信のある者が補佐役に選ばれ、階段の物陰に隠れて周囲を警戒するように言われた。
授業の始まるチャイムが鳴った。冷たい廊下に反射して、物悲しい響きが伝わった。
キーン コーン――
カーン コーン――
若い婦警は制服姿でトイレの個室に立っていた。当時の学校は全て和式のトイレだった。座ることはできないが、立ち続けることには慣れていた。
どれぐらい時間が経っただろうか、授業が終了する時刻になっていた。
チャイムが鳴る。休憩時間に入る。婦警は個室から出て中間報告をすべきか迷った。
生徒の報告では、休み時間中の遭遇が一番多かった。婦警は腕時計を見て、もう少し様子を見てみようと決めた。
普段と雰囲気が違うため、1階のトイレを使おうとする生徒はいなかった。教員の見張りや制服の警察官が張り込んでいる領域に入りたがる生徒はいない。
「赤いちゃんちゃんこはいらんかね?」
突然、婦警は重たい粘つくような声を聞いた。
婦警はとっさに身構えた。体力には自信があった。気の強い性格だった。生徒たちの言っていたのはこれか、と思った。正義感が働く。本当に起きたんだ。今日で解決しなければ。
「いるって言ったらどうするの」
婦警は何の前置きもせずに叫んだ。同時に個室のドアの鍵を開けた。相手を驚かせて反撃を遅らせる戦法だった。
激しい金属のぶつかる音がしたため、男子トイレに潜んでいた警察官も慌てて外に飛び出した。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ」
学校の廊下に絶叫が響き渡った。見張り役の教員が驚いた様子で駆け出し、女子トイレの入り口を覗き込む。
教員は警察官と顔を見合わせ、無言のうちに女子トイレに立ち入る正当性を確認する。
女子トイレは静まり返っていた。ひんやりとした空気が不気味に感じた。一番奥の個室のドアが半開きになっている。警察官は教員を後ろに立たせて、個室の方へ歩み寄った。
警棒を握りしめて片手でドアを押し開けた。そこには血みどろになった婦警が力なく座り込んでいる姿があった。
頭部から流れ出た鮮血が、制服の上半身を赤く染めていた。
後ろから恐る恐る近づいて、警察官の肩越しにその状況を見た教員は、はっと息を呑んで後ずさりした。
赤い……ちゃんちゃんこ……
生徒から聞いた報告が脳裏に蘇る。
この婦警は、いったい何と答えたのだろうか。
後に警察の調べが入り、事件として処理されたそうだ。
似たような事例が各地で語り継がれている。それが本当にあったことなのか、生徒たちの想像なのかは分からない。
ただ、「赤い半纏(はんてん)」「赤いマント、青いマント」など、類似する逸話も多く見られ、これらの中には過去に実在した犯罪者や未解決事件を下敷きにしたものもあるそうだ。
学校のトイレで個室を使う際には、十分に耳を澄ませて、外の気配を確認した方がいいだろう。