血の病院

車の免許を取りたての頃、ふざけて病院の廃墟に忍び込んだ事がある。

そこは地元でも有名な心霊スポットで、夏になるとオカルトマニアが遠方からもやってくるような場所だった。

深夜、俺たちは親の車を借りて、その場所へ行ってみる事にした。

運転席に俺、助手席にはA、後部座席にTとGが座っていた。

Aは特にこの手の話しが大好きで、今回も病院に行こうと言い出したはAだった。

現地に着くと、夏休み前の平日と言う事もあって、誰も居なかった。

「俺、すでに怖いんですけど」

Gが半分本気で言った。

「怖くねえやつなんか居ねえよ」

Tがもっともな意見を言う。

その病院は規模としては中型で、駐車場は十台分くらいの広さだった。長期間放置されていたため、雑草と雨に流された泥で非常に荒れていた。

俺たちは懐中電灯を片手に病棟に近づいた。

窓ガラスの割れた入口をくぐるようにして入ると、真っ暗な廊下が目の前に伸びていた。

「こ、怖ぇえ〜!」

俺は恐怖を紛らわせるためにわざと大きめの声を出した。

「でかい声出すなよ!」

すかさずAに突っ込まれた。

四人とも病院内の雰囲気に完全に飲まれそうになっていた。

するとAが灯りを左右に振り向けながら、床に散乱したガラス片をバリバリと踏んで奥へと進み始めた。

全員が一応自分の懐中電灯を持参して来たので、結構な明るさになった。

俺たちは、怖がりながらもAの後を追った。

フロアに入ると、まず右手に受け付けが見えた。

カウンターの上には、空き缶や空のペットボトルが転がっていた。これまでに病院の肝試しに来た奴らが散らかしていったゴミだ。

中には年季の入った物や腐敗した食べ物もあって、より一層廃墟の不気味さを強調していた。

電気はとっくに止まっていた。非常灯の緑や消火栓の赤いランプも消えている。

誰かが歩くたびに、砂やガラスの混じった堆積物を踏んで、ジャリッという音がした。

 

「あの部屋に入ってみよう」

 

先頭のAが言った。

一番手前にある右側の部屋に入ると、そこは問診室になっていて、仕切り用のカーテンはそのまま残っていた。

その昔、医者が使っていたであろう丸椅子と机も置いてある。

机の上にはずいぶん古いカルテのようなファイルが散らばっていた。

これも悪戯だろうか、と思いながら部屋を出た。

室内の奥にも部屋はあったが、これ以上進むのはまずい気がするとの事で、違う部屋を見る事にした。

隣の部屋には、レントゲンと思われる大きい機械が置かれていた。

ここの部屋は、何かとても低い音で「ブー」と唸るような音がかすかに聞こえていた。クーラーの室外機とか自動販売機のサーモスタットのような感じだ。

しかし電気は通っていないはずだ。

おかしいな、とは感じたものの、当然みんなにも聞こえているものだと思い、何も言わなかった。

 

「なぁ、もう気持悪いし帰ろうぜ」

 

Gが弱音を吐いた。

 

「じゃあ、あっちの奥の部屋だけ見たら」

 

Aはそう言って、反対側の部屋に向かって行った。

その部屋は酷いありさまだった。

使い古されたイスやベッド、何に使うか分からない器械が、何か爆発でも起こったんじゃないかと思うほど破壊されて散らばっていた。

すえた臭いがして、ホコリの量も他の部屋と比べ物にならないくらい多かった。

この部屋の異常さに全員が圧倒された。すぐにでも病院を出たいという気持になった。

 

「もう行こうぜ!」

 

Gが怯えた声を出し、廊下を戻ろうとした時。

 

 

「おい見ろよ!!」

 

 

Aが大声を出しながら、部屋の壁を懐中電灯で照らした。

 

「うわっ! 何だこれ!」

 

皆一斉に身を引いた。

見ると、壁一面にベッタリと赤い血のようなものがこびりついていた。

Aは臆することなく部屋の中心まで歩いていって、壁を舐めるように見てから、くるっとこちらを向いた。

 

「なあ、こっち来てみろよ」

 

「な、何だよ……」

 

俺たちは、びくびくしながら部屋に踏み込む。

 

「良く見てみ」

 

Aが壁の方を照らして言った。

 

「……あれ?」

 

壁一面に付着しているのはペンキの色だった。

なぜすぐに分かったのかと言えば、足元の瓦礫の中に赤い塗料の缶とハケが転がっていたからだ。

誰かがイタズラでやったに違いない。後から来る奴を驚かせるためだ。

 

「何だ……タチ悪いなあ」とTが言った。

 

「ビビらせんなよ!」Gは本気で腹を立てている。

 

俺はほっとしてため息をついた。しかし同時に、Aの様子がおかしい事に気づいた。

 

 

「やっぱり血だ……」

 

 

「え?」

 

 

俺とAの視線が交わった。Aの体が小刻みに振るえている。

 

「良く見ろよ! 血なんだよ!!」

 

Aの目が見開かれている。俺たちが一斉に懐中電灯を向けたせいで、眼球が反射して光って見えた。

 

「どうしたんだよ! 急に!」

 

俺は怖くなってもう一度懐中電灯を壁に向けた。特に変わった様子はない。

 

「なぁ、やっぱりペンキだよ。固まり方も違うし、血ならどす黒くなるはずだ」

 

Tが壁の近くまで行って目を凝らす。

すると、なぜかAは恐ろしい物を見るような顔で、びっしりと額に汗をかき、ゆっくりと俺の方に近寄ってきた。

 

 

 

「壁じゃない。お前の服だよ……」

 

 

 

下を向くと、俺のTシャツが赤い血でベッタリと濡れていた。

 

「うわーっ!!」

 

直後、俺は考えもなしに叫び声を発して出口に向かって駆け出した。何か嫌な物をバリバリと踏みつけたような気がしたが、内心それどころではなかった。

ようやく車までたどり着いて振り返った時、友人たちが息を切らして追ってくる姿を見た。

とにかくその病院を離れるために車のエンジンをかけた。

どういう道をたどって来たのか全く覚えていないが、何とか家の方まで無事に帰って来ることができた。

ふと我に返って、自分のTシャツを引っ張ってよく見てみる。

 

 

 

「……無い」

 

 

 

確かに血がついていた部分には何もなかった。

それが果たして血だったのかすら分からない。

ただ、二度と遊び半分で心霊スポットに行く事だけは止めようと思った。

 

 

暗闇から見つめる視線

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