リゾートバイト(3)

リゾートバイト(2)を読む

次の日、俺とAはいつもの仕事を早めに済ませて、Bのいる玄関先へ向かった。

そして女将さんが出てくるのを待った。

しばらくすると、女将さんは盆に食事を載せて現れ、2階に続く階段のドアを器用に開けると、奥の方へと消えていった。

2階へ続く階段は建物の外にある。1階から2階へ上る階段は、俺たちの知る限り建物の中に存在しない。

玄関から外に出て壁伝いを進み角を曲がると、外壁の一角にドアがあり、そのドアの向こうに階段があるのだ。

Bの言ったとおり、女将さんは5分ほどで戻ってきた。お盆の上に空になったと思われる食器を載せて、そそくさと玄関の中へと入っていく。

「な、早いだろ?」とBが言った。

「ああ、確かに早いな」と俺は同意を示した。

「なにがあるんだろうな。上」

Aはそれほど高くない建物を見上げた。

「知らないよ。見に行くか?」

Bが聞くと、Aは視線を戻してBの顔を見た。

「ぶっちゃけ俺、いま超ビビってんだけど」

「あ? 俺もだけど」

何の張り合いなのか分からないやり取りを聞いて、俺は二人に向き直った。

「とりあえず、行ってみようぜ」

そう言って3人で2階へ続く階段のドアの前に立った。

「鍵とか閉まってないの?」

Aが心配するのをよそに、俺はドアノブに手をかけて回した。すると、ドアはすんなり開いた。

ドアが数センチ開いたところで、俺の右側に立っていたBが「うっ」とうめき声を上げて鼻をつまんだ。

「どうした?」

ドアが開く方とは反対側に立っていたAが身構える。

「なんか臭くない?」とBが眉間に皺を寄せて言った。

俺は特に何も感じなかったが、Bは執拗に臭いに反応していた。

「おまえ、ふざけてんの?」

Aは、びびりながらも何も感じていない様子で、Bをからかうようにつついた。

Bは、その動作に反応して、Aの手を振り払う動作をした。

「いやマジで。臭わないの? もっとドア開ければ分かるよ」

Bに言われるまま、俺は意を決してドアを一気に開けた。

生暖かい空気が中から溢れ、それと同時に埃が舞った。

「このホコリの臭いのこと?」

俺が聞くと、Bは鼻をひくつかせてから唇を尖らせた。

「あれ? 臭わなくなった」

「こんな時にふざけんなよ。なにかあったら絶対お前置いてくからな。いま心に決めたわ」とAが悪態をつく。

「いやごめんって。でも本当に変な臭いしたんだよ。なんていうか……生ゴミぽくてさ」

「もういいって。気のせいだろ」

そんな2人を横目に俺はあることに気づいた。

横幅が、すごく狭いのだ。

人が一人ぎりぎり通れるくらいだ。

そして電気のたぐいが見当たらない。外の光でかろうじて階段の中間まで見える。

「これ、上るとしたら一人ずつだな」と俺は言った。

「いやいや、上らないでしょ」とAが言った。

Bがすかさず「上らないの?」と聞いた。

Aは不満そうな表情を見せた。

「上りたいならお前が行けよ。俺は行かない」

「俺も……無理だな」とBも及び腰になった。

「行かねーのかよ。じゃあ、俺が行ってみる」

勢いで言うと、二人は驚きの表情を見せた。

「本気か?」

Aの言葉を聞いて、引っ込みがつかなくなる。

「俺こういうの、気になったら寝れないタイプ。夜中一人で考え込むくらいなら今行っちまった方がいいだろ」

よくわからない理由だったが、俺は恐怖心と同時に好奇心を感じていた。AとBがいるこのタイミングなら、なんとかなるだろうとも思った。

とりあえず、俺が一人で様子を見に行くことになった。なにか非常事態が起きた場合は、絶対に俺を置いて逃げたりせず、真っ先に教えてくれ、と言った。

ただし何もない時は、ふざけたり急に大声を出したりするな、とも言った。

もしそれをやったら、命の保障はできない、とも伝えた。俺のね。

 

 

恐る恐るドアの中に入り、階段の一段目に足を乗せた。

階段のある空間は、外から差し込む光だけで薄暗い感じだった。

慎重に一段ずつ階段を上り始めると、途中からパキッ、パキッ、と音がするようになった。

怖くなって後ろを振り返ると、2人は音に気づいていない様子で、じっとこちらを見上げていた。

Aが親指を立てて、異常なしの合図をよこした。

俺は無言で頷いて、改めて2階の方へ向き直る。内心で、古い家によくある床の間がきしむ現象だ、と言い聞かせる。

下の入り口から差し込む光が、あまり届かないところまで上った。好奇心と恐怖心の均衡が怪しくなってきて、今にも逃げ帰りたい気持ちになる。

階段の終わりに踊り場があった。その先はすぐに行き止まりになっていて、扉のようなものがあることが分かった。

暗闇に慣れ始めた目で突き当たりの扉の方を見ると、何かがそこに立っているかもしれない、という嫌な妄想が頭をよぎる。

床の間のきしみ音も段々と激しくなり、自分が何か得体のしれない物を踏んでいるのではないか、という感触が足の裏に生まれる。

虫の死骸か何かを踏んだのかもしれない。そう思うと背筋に悪寒が走った。

何かが動いている様子はなかった。足元は暗くてよく確認できない。

もう一度振り返ってみる。出入り口の逆光のせいで2人の姿がシルエットに見える。どちらがAかBかは判別できないが、片方の人影が親指を立てる仕草をした。

そしてとうとう階段を上りきって、踊り場に足を踏み出したとき、強烈な異臭が俺の鼻を突いた。

さっきのBと同じ反応で、俺はえずきながら鼻をつまんだ。

「うっ」

異様に臭かった。俺の知る限り、生ゴミと下水を混ぜたような臭いだ。

臭いの発生源を探したくて、俺は踊り場の隅々に視線を走らせた。

すると、突き当たりの壁の角に、大量に積み重ねられた残飯のようなものがあった。それが異臭の元だった。なぜ今まで気づかなかったのか分からないくらい、蝿が大量に舞っていた。

俺は半狂乱になりながら、もう一つ、あることを発見してしまう。

2階の突き当たりの扉の淵には、ベニヤ板みたいなものが打ち付けてあり、その上から大量のお札が貼られているのだ。

そしてさらに板を打ち付けた釘に、なにか細長いロープのようなものが巻きつけられていて、蜘蛛の巣みたいに絡まっていた。

正直、俺は「お札」を見るのは初めてだった。普通のお札じゃない。何かこういう場面で使われる「お札」のことだ。

あれがお札だったと言い切れる自信はない。なにせ現物を見たことはないからだ。ただ、「なにかを封じ込めています」っていう雰囲気が全体から伝わってきたのは確かだ。

俺はそこで初めて、自分の知ろうとしている行為が間違っているのではないかという疑心にかられた。

すぐに戻ろうとして、階段を下り始めたとき、背後から不快な音が聞こえてきた。

「ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ」

なにかが扉の内側を引っ掻く音だ。俺は直感的にそう感じた。

ドアを引っ掻く音のあとに「ひゅう、ひゅっ……ひゅう」という不規則な呼吸音のようなものが聞こた。

階段を下りようとする姿勢のままで固まり、俺はあの奥に何がいるんだろうと想像を巡らせた。不穏な映像ばかりが脳裏に再生される。

そのまま後ろを振り返らずにまっすぐ階段を下りればいいものを、それを実行することができずに足を止めている。その場から動く勇気もなければ、振り返る勇気もない、そんな状態だ。

俺は眼球だけを動かし、周囲の気配を観察した。その間も「ガリガリガリガリガリガリ」「ひゅう、ひゅっ……ひゅう」という音は続いていている。俺は緊張で強張った脚をどうにか動かそうとしていた。

すると背後から聞こえていた音が一瞬、止んだ。

しん、と静まり返ったのは、一瞬だった。

直後、バンッと何かを叩く音が聞こえて「ガリガリガリガリガリガリ」と何かを引っ掻く音が続いた。

俺はその音が頭の真上、天井裏から聞こえていることに気づいた。

さっきまで扉の向こうで鳴っていた音が、一瞬で頭上に移動したのだ。

足が震えだして、もうどうにもできないと思った。

心の中で、何度も助けて、と叫ぼうとした。

そんな中で、本当に一瞬、視界の片隅に動くものが見えた。

俺はこの時すでに動くものすべてが恐怖の対象になっていた。視界に入るものを見るか、見ないか躊躇するようになっていた。だが、意を決して目を向けると、それはAとBの姿だった。

AとBは下から何かを叫んで手招きしていた。

俺は混乱していたんだ。ようやく正気を取り戻して、AとBの声を聞くことができた。

「おい! 早く降りてこい!」とAが言った。

「大丈夫か?」Bの声も聞こえる。

俺は一気に体の自由を取り戻して、無我夢中で階段を駆け下りた。

後から聞いた話だと、俺はこの時、目をつむったまま階段を一段抜かしで駆け下り、そのままAとBの横を通り過ぎて部屋に一人で走って行ったらしい。

後から思い出そうとしても記憶が曖昧だ。とにかく安全な場所に行きたいという思いしか残っていない。

 

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暗闇から見つめる視線

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